セン先生
村野藤吾(むらの とうご、1891年5月15日 – 1984年11月26日)を紹介するよ!
モダニズムと伝統的な日本建築の融合を特徴とする作品で知られています。キャリアを通じて、独自の感性と柔軟なアプローチにより、さまざまな建築スタイルを取り入れました。間違いなく歴史に名を残す建築家ではありますが、歴史的な立ち位置を明確に定義することが困難です。いまでも時折建築界を惑わす稀有な存在です。
当記事の内容
略歴
- 出生: 1891年、三重県に生まれる。
- 教育: 東京帝国大学(現在の東京大学)建築学科を卒業。
- キャリア: 1918年に渡部節建築事務所に入社し、関西を中心に数多くの建築作品を手がけました。その後、独立して数々の建築プロジェクトを行い、戦後も国内外で多くの重要な作品を生み出しました。
- 死去: 1984年に93歳で亡くなりました。
受賞歴
村野藤吾は数多くの賞を受賞しており、日本建築界における最も重要な人物の一人とされています。
- 1953年 – 日本芸術院賞
- 1953年 – 日本建築学会賞作品賞(丸栄百貨店)
- 1955年 – 日本建築学会賞作品賞(世界平和記念聖堂)
- 1958年 – 藍綬褒章
- 1964年 – 日本建築学会賞作品賞(日本生命日比谷ビル)
- 1967年 – 文化勲章、文化功労者
- 1970年 – アメリカ建築家協会(AIA)名誉会員
- 1972年 – 日本建築学会建築大賞(箱根樹木園休息所)、大聖グレゴリウス勲章
- 1973年 – 早稲田大学名誉博士号
- 1977年 – 毎日芸術賞(小山敬三美術館)
- 1980年 – 明治村賞
作品の特徴
村野藤吾の作品は、モダニズムの合理性と日本の伝統的な美学を巧みに融合した点で評価されているよ。
- 柔らかな曲線の使用: 直線的なモダニズムに対して、曲線や自然なフォルムを取り入れた造形が特徴です。
- 折衷様式: 様々な様式を自身の建築の中に取り入れています。様式ですら目的達成の為の手段の一つに過ぎなかったのかもしれません。
- 素材の多様性: コンクリート、石、木材など、さまざまな素材を組み合わせ、質感や触覚的な魅力を追求しました。
- 細部へのこだわり: 建物全体だけでなく、細部のデザインにも細心の注意を払い、装飾的な要素を巧みに取り入れました。
- 売れる建築:独りよがりでなく依頼者を含めた皆が受け入れる建築を目指した。
- 多様なスタイル:プロジェクト毎に、驚くほどクライアントの切実な要望を叶える事に尽力しています。
一筋縄では理解できない建築家ですね。
村野藤吾は自由自在にデザインを変えるから、視覚的な情報のみで理解しようとせずに、その思想を観念的に理解した方が良いよ。
代表的な作品
村野藤吾は、幅広い分野の建築を手がけ、多くの名作を残しました。以下は代表的な建築作品です。
- 世界平和記念聖堂(広島県、1954年)
戦後復興の象徴として建てられたカトリック教会。モダニズム建築の中に伝統的な日本建築の要素が融合しています。 - 読売会館(東京都、1957年)
現ビッグカメラ有楽町店本館。機能的でありながらも独自の曲線美を持つデザインが特徴。 - 千代田生命保険本社ビル(東京都、1966年)
現目黒区総合庁舎。外壁の白色アルミ鋳物製ルーバーが特徴。1969年にBCS賞(第10回)を受賞しています。 - 箱根プリンスホテル(神奈川県、1978年)
現ザ・プリンス箱根芦ノ湖。リゾート地に建設されたホテルで、周囲の自然との調和を考えた設計。 - 谷村美術館(新潟県、1983年)
湾曲した半円形の部屋、洞くつのような部屋の中に作品が展示されています。美しく触りたくなるような曲線です。
僕もいくつか見にいったことがあるよ!
村野藤吾に関する関連書籍
村野藤吾自身の著書は限られていますが、彼の建築や思想について研究した書籍がいくつか出版されています。これらの書籍は村野の建築作品やスタイルを深く理解するために役立ちます。
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